Quantcast
Channel: リハビリ人間のよろずブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 105

青春は甘酸っぱいのか?

$
0
0

私は良好な人間関係を築くのが苦手で、特に組織に属すると、大抵の場合浮いてしまいます。これからの人生はなるべく組織とは縁のない生活を送りたいと思っているのですが、どこかの場面で必ず組織に属さないと社会性を全く持ちえない幼稚な性根から抜け出せないという例を知っているので、なるべく人間の縁はこれ以上は切らしたらあかんなと思って生活しています。

 

私は中学、高校と陸上部に所属していました。高校においては府内でも有数の強豪でした。そのため、規律は厳しすぎとは言わないのですがある程度、強固な組織性を持っていたので自由度が高かった中学生の部活の延長性で捉えていた私にとって大きなハードルでした。

 

入部当初から辞めたい辞めたいと思っていたのですが夏の合宿の際、顧問の先生に喝を入れられ、これはやめられへんなと覚悟を決め、本腰を入れて取り組むようになったという思い出があります。

 

決めた以上は頑張って取り組んだのでそれ相応の評価の転換のはかることに成功はしたのですが、組織嫌いの私の心身はいつもギリギリで家族にあたることもしょっちゅうでした。

 

そこから得られた経験は自分の人生にとって大きな財産になっています。ただ苦しみの素にもなっているのも事実です。

 

1つの財産は泥臭い方法を採ることに人と比較して躊躇がないことだと思います。就職先でも現場作業に文句を言わず抵抗なくやっていけたのはこの経験のおかげだと思っています。もう1つの財産は上の身分の人にもそれに合わせてコミュニケーションが取れるという事でしょうか?その人が無礼を働いたら私もそれ相応の対応をしますが(これが組織に対応できない理由だと思います)。

 

ただ苦しい思い出もあります。一日中、他の部員と過ごす濃厚な人間関係は個人主義的傾向の強い私(個人でできる陸上競技だからこそ私はこれを選んだのです)はそこでの失敗が昨日の事のように発作的な思い出して(顧問の先生を責めてる訳ではないです)頭がうわーとなって記憶から消し去りたいと何回も思ってしまいます。そしてあの時の他の人からの暗喩に気づいた時にはそれはもう凄く苦しいです。

 

部活で得た心体両面の強靭性はあらゆる心的な動きにセンシティブな私にとって必要不可欠な物になっているのかもしれません。何せあらゆる人間関係の壁にぶち当たり尊厳を踏みにじられ、格好悪くても堂々と生きているのですから。

 

ただそれに相応する痛みも常に持っています。今後の私の人生においてそれとどう向き合うのかが人生の1つのテーマなのかもしれません。

 

この記事を書く前に高校野球の応援動画を見ていました。彼ら彼女の内心は分かりませんが一体となって応援する様は青春の1ページとして強い思い出になるのでしょう。それを良い思い出にするか暗澹たるものにするかは、彼ら自身の生き方に依存するでしょう。私はせっかく頑張ってやっているのだから良い思い出に昇華して貰えたらいいなと思った次第です。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 105

Trending Articles