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心得

 中学、高校ともに所属していた部活動の顧問は、両方とも比較的怖い先生だったので、理不尽だと自分が思う事で怒られたりするなどの悪い言葉で言うとパワハラに対するストレス耐性はある程度あるのだと思います。実際、私が働いていた建設設備の会社において、やたらと威圧的に指導してくださる上司がいたのですが、そのような指導に対して嫌気がさすことなく、献身的であったと思います。

 

 なぜそんなマゾヒズム的なのかというと自分にはそのような性質を持っていなく凄いなと嫌味ではなく感心するからです。元来、人に対して威圧して指導するというのは、とても体力のいることだと思っているので、その人の立場に立って考えてみると申し訳ない気分になってしまうのです。私は涙もろい性質なのですが、それはなぜかというと、こんなみっともない所を両親が見たらつらいやろうなとか考えてしまって悲しくなって泣いてしまうというバカみたいな側面もあるのですが、怒っている人がわざわざエネルギーをこっちに向けてくれることに何となく感極まってしまうのです。あまり共感されないでしょうが。

 

 このようなことを書いている理由は、今日、散歩中にいろいろ思い出して、非常につらくなった事を言語化した方がいいと思ったからです。

 

 私は、上司に非常に怒られました。そして、下請けの職人さんにも非常に厳しく指導してもらいました。恐らく職人さんは私の優柔不断な面に対していらだっていたのだと思いますが、上司が悪評をばらまいて(こいつは強く言わなわからへんみたいな)辞めさせる覚悟で厳しくやってくれといったことを言っていたのだと推察しています。ただ、私は学生気分でやっていたので、厳しくやるということはそれだけ自分の成果になると思って、半ばありがたいと感謝までする心意気でやっていました。実際に、業務に関しては同じ時期に入ってきた同僚よりも確実に技術の習得は早かったかと思います。何より、積極的に自分から現場作業に取り組む姿を見て、得意先の長老のような方から評価して頂いて、そこの社長様から、新卒一年目であった私に対して仕事の依頼をしていただいたのは(上司がついてくるという担保があるのは当然ですが)、異例であったと思います。

 

 厳しい環境を身を置くことに慣れている私は、このように業務を行っていたのですが、最終的にその指導役の上司に裏切られるような形で会社にいられなくなった事を思い出すと未だに非常に悲しくなります。悪事を仕掛けたのは、別の上司です。理由は妬ましい気持ちもあったでしょう。若い私に対して、好意的に接してくださる事務の女性がいたのですが、その人と楽しくやり取りをしてるとその悪人が不快な態度を示すなど何かと怖いなと思っていました。気を熟したのかその上司は、私のプライベート情報をばらまき、会社にいることが不可能になりました。それはいつか来るだろうなと何となく思っていたのですが、私にとってよりショックだったのは、そのプライベート情報を見てとても楽しそうにしている、指導役の上司の姿を見た時です。その瞬間、今までの感謝の気持ちが一気になくなってしまいとてつもない軽蔑心を抱きました。その後、すごい剣幕で怒ってきた時も、何の感情も沸くことはありませんでした。

 

 学生時代の私は甘かったのだなと思います。本物の悪意を恥じることなく見せつけてくるのが、大人の世界だなという事が身に染みてわかった瞬間です。あの上司の厳しい指導というものに悪意が多分に含まれていたであったということが理解した瞬間でもあります。

 

 世の中には慈悲心を持つ機会を与えられず弱っている人間をとことん追い詰めようとする動物(チー牛)が数多います。そういった世界で私のお人よしの解釈は食い物にされるだけでしょうか。ただ、私は立場が悪い人に対して、周りに迎合して糾弾するようなことは、幾度かあったかもしれませんが、成熟するにつれその人の立場も十分考慮しようとなるべくしています。それが後々、いい形になって返ってきているかもという空気をたまに感じます。私が社会に復帰してからも理不尽な攻撃はあるでしょう。でも、不器用ですが今の生き方が最終的に私にとって結果的に得であったなと結論できる人生になればいいなと思っています。


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