著者はSNSにおいても積極的に情報を出していて、そこでは細部にこだわる著者の気質を窺い知ることができるが、本書では特に第3、4、5部でそれを全面に押し出しているように見える。
教養書として読むような私のような一般読者には少々冗長に感じるところがあるが、学術書(学術書として立派な別の本も出版されているが)として評価するとその資料価値として特筆すべきところがあり、著者の歴史学者としての資質を十二分に発揮していると言えるだろう。
本書ではまず三井両替店の生業である為替業の仕組みを説明している。これはある程度、金融の仕組みを理解していたらまあなんとなく理解できるが、初学者にとっては多少理解に時間がかかるだろう。
幕府との間で特権とも言える関係を築いた三井家は、そこから生まれる余剰資金を民間融資によって利殖を稼ぐことに専念する。
私が感心したのは、三井家で奉公する従業員が動産(質物)の価値評価においてあらゆる質物を適切に評価することが出来たということである。
例えば、山崎豊子の不毛地帯において舞台である繊維商社において繊維の質を社員が見極める場面があるが、その技術の獲得には相当の時間がかかると見受けられる。同様に担保に供するあらゆる品物の見極めには非常に熟練の技がいると考えられるのは自然であろう。
当然、三井家の従業員のみだけで、価値の評価を行っている訳ではなく、潜在的なステークホルダーである専門業者との情報共有によってそれを実現していた訳だが、多かれ少なかれ三井家の従業員もそれなりの鑑定眼を持ち合わせていたのだろうと思う。
なぜ潜在的なステークホルダーである専門業者との円滑な情報共有が可能だったかと言うと、言葉通り彼らは三井家に対して融資を申し込む可能性を秘めていたからであり?(ここ間違ってるかも)そこには大坂内での緻密な情報ネットワークが存在していた。
著者はこの当時の大坂の社会を窮屈な監視社会であると表現している。確かに現代の視点から見ると窮屈で、一般にイメージしがちな江戸時代の自由溌剌さとは趣が異なる。私も同意するがあえて違ったアプローチで批判的な見当を考えてみたい(偉そう)。
大坂のプライベートがない窮屈な社会という視点は、前述の通りプライバシーという概念のある現代からの視点であり、同時代の江戸や、現代の極端なイスラム主義国家から、江戸時代の大坂という都市を俯瞰してみるとまた違った視点を与えてくれるかもしれない。(江戸やイスラム国家は私は曖昧なイメージしか持ち合わせず間違っているのが前提である)
まず江戸から見ていこう。幕府が設置されていた江戸は絶対的な存在として幕府があり、そして各諸藩の江戸藩邸、そして市井を生きる人々と明確な権力の構造があった?そこには幕府の合理性から生まれた理屈があり、それが絶対的な指針だったはずである。その権力構造に組み込むための権力側からの上からの強権的な政策や監視が存在していてもおかしくないだろう。そして不合理であるとしそれに抗う者は絶対的な権力からの制裁があったはずである。
強権的なイスラム国家にある宗教都市からも見てみよう。
そこには過去の慣習から生まれた時代遅れの規律があり、それを守らせる為政者からは不合理であっても厳格な取り締まりが行われる。これはどの時代においても宗教が勢力を誇る都市において見受けられるだろう。
この首都機能を持つ都市と宗教都市とで、権力から離れた、ある程度高度な自治を維持した商業都市である大坂と比べてみると、大坂は経済原理という合理性が持つ力によって都市が運営されていたことが分かる。それは窮屈であっても、損得勘定で動けばある程度満足する結果が生まれる、という人々にとってはある意味において納得させる道理があったと言えるかもしれない。
また当時の日本社会においてプライバシーという概念はなく、情報共有はむしろ貧しい社会の中で人々の効用を最大限にさせるための共同作業の面が強かったのではないだろうか。
現代社会に目を向けると、社会の高度な発展によりプライバシーという概念が産まれて久しい。一方、情報技術などの科学技術の進歩により不確実要素を取り除こうとしている。情報技術の究極の目的は個人情報の取得、応用だろう。今、我々の社会はこの立憲主義の基本であるプライバシーの守秘と情報技術の進歩と決して両立できない2つの概念?がせめぎ合っている。この岐路に経つ中で我々がどう生きていくかはそれぞれの良心に委ねるしかないのだろうか…