零細ブログなので、好き勝手書いていいような気がするのですが、誰が見ているのかわからないので、思い込みを何の裏付けもなくWEB上に公開すると、何らかのきっかけで火の粉が飛んでくる可能性があります。今回の記事はXを見ていて、ふとブログネタになるかなといろいろ連想して軽く調べたら、思い込みだなという推定に至った点でそれに該当します。ただなんとなくモヤッとしていることは伝えたいので、妄想に絡めて文章にします。
今日、Xを何気なく見ていると、東京に生活基盤がある人の老後は地方都市にその基盤を移すべきだというようなポストを見かけました。
この方は、地方の振興について研究されている方なのですが、私はこの記事をXで見た当初、老後ということに引っ掛かりました。なぜかというと以前、5chの嫌儲板を見ていた際、生活保護か何かの福祉の地域差をなくしていきたいという国の指針のニュースを扱ったスレッドを見つけ、そこでは東京からの棄民政策として、生産性を何らかの不運により持ちえない者を地方に送り出すのではという議論がなされ、この記事はそれを連想させるものだったからです。この方は前述の通り地方振興をライフワークとされているので、そのような意図はないかと思います。ただ、果たして本当に政府は地方に低生産性の方(私みたいな)を東京から送り込んで、厄介払い(国の見方としてです)したいのかなというのはずっと気になっていたので、生活保護をネタにして雑な感じで調べてみました。
生活保護には級地区分という仕組みがあり、市町村の繁栄度によって生活費に高低差が出るという前提で6段階に区分されているようです。その区分によって生活保護額がそれぞれ算定されるようです。例えば東京区部とか大阪市のような大都市は最も生活費がかかるという事で最も高い支給がされます。
おそらく私が以前見たニュースは、生活費が都市部とそれ以外の差が少なくなってきたため区分を減らし、支給額の差を縮小させたいというニュースだったのかもしれません。そのような意図だったら、掲示板で行われていた棄民政策としての文脈は見当違いであり、むしろ車が必須な地方においても支給額を充実させるべきであり、支給額の差を埋めるのは当然であるという主張をしていくのがより人道的であったのかもしれません。
ここで、私の直観は間違っているのではないかという推定が得られたのでした。
ただ、まだモヤッとしたものは残ります。それは高齢者の介護問題に関してです。例えば、道府県(都は入れるべきでしょうか?)に点在する過疎地域の高齢者の数のピークは、現在がピークの箇所もあり徐々に高齢者自体の数が少なってきます。そのため、福祉施設や人的資本が余剰となってくる可能性があります(その介護人材が福祉を受ける段階になってきている段階にもなっていると思いますが)。高齢者の数のピークがずれる東京と地方との間で、有効な資本の利用のため、子がいない高齢者が地方に住む、もしくは里帰りする動機を与えて自発的に移住させ、東京の高齢化問題を少しでも緩和させたいという誘惑は、東京一筋で一極集中政策を推し進めてきた国なら、持っていても不思議ではありません。
人手不足の昨今ではナンセンスな仮定ですが、福祉は地方の雇用の受け皿にはなるのでしょうが、介護という低い生産性を甘受しなければならない産業が基盤になると、大都市との経済的格差がますます開きます。賃金の差により手塩をかけた人材の流出が止まらず、言ってみれば、教育費というのが大都市に対する年貢とさして変わりえないのではないかと思わされます。また過疎地域の活力もますます失われていくでしょう。能登を見ていると中央政府はもうあきらめているのかもしれませんが。
私は東京の国際的威信のためならなりふり構わず、優遇策を推し進める政府に対し不信感を持っています。東京の強さは民間企業に対する、役人の権限の大きさでしょう。多分、10年前に在学していた大学時代に聞いた話なので、曖昧で間違っているかもしれませんが、バス会社がバス停を設置するか廃止するかだけでもその許認可を得るため東京の本省まで出向かなければいけないと聞いた覚えがあり、今から考えるとたとえ小規模な企業で東京での営業活動がメインでなくても、あらゆる企業が東京に拠点を置かざるを得ないのだなとよくわかります。もしコロナ後の現在でも何の改善もしていなかったらエゴ丸出しと思うのですがどうでしょう?
地方の拠点都市やそれが無理なら西日本に一か所(大阪?)だけでも同等の許認可権を持つ機関を設置すれば生産性が上がるのではと素人考えでは思います。文化庁が一部機能を京都に移してますが、このように一部の許認可権でも東京に出向かなくてもいいのなら、日本にとって大きな改革だと思いますが。
最後に付言しときますが、私は東京という街を非難しているわけではありません。東京の各地には様々な色があり、その豊かな文化は日本のサブカルチャーを世界に知らしめる原動力となっていると思っています。ただ、文化の多様性は地方からもたらされているのは当然あり、それが失われていくのは東京という街自体の自殺行為でもあると思っています。