著者の経済学の捉え方に感銘を受ける。論点が色々あり、別々の感想があるような気がするのでそれぞれのメモを箇条書きし、後々まとめれたらいいと思う。
・そもそも前回読んだ「金融工学の挑戦」で少々踏み込んだ書評を書いたのだが、自信がなく反論の可能性もあるだろうと思い手にした。前回、効用関数の呪縛と表現し、経済学を修めた物がそれに囚われて結局、社会の破綻をもたらすという表現をした。このように思考が現実を規定することに対して「遂行性」というちゃんとした学術用語があることに、ほっとしたような様々な複雑な感情を抱いた。
そしてこの効用関数の呪縛の解決には、人文科学の力が必要かもしれないという記述をした。しかし、現代の経済学は人文科学をも取り込む方向に向かっており、従来の新古典派などの経済学者が行った自然科学的アプローチのみの追求から脱却し、それを包含した「人間科学」へと変質している。経済学に対して消極的な評価をしていた私の主張を良い方向に覆してくれているのは私の無知故であろう。とにかく経済学の学問としての新しさ、奥の深さを再認識することが出来た。
・制度の経済学の項が面白い。市場を介して取引を行う一方、企業内での取引も行われていてそれの合理性の説明としてロナルド・コースは市場取引に取引コストが存在すると主張し、生産者?は取引を行う場合、市場か企業内かでコストが低い方を選択するそうだ。
そしてその取引コストとは何であるかという問いに、オリバー・ウィリアムソンは不完備契約、関係特殊投資を持ち込み説明した。
ここを読みアメーバ経営の概念は取引コストの更なる研究の進展、もしくは理解のための教材として非常に有益なのではないかと思った。
面倒なのと不十分な理解なのでアメーバ経営の説明は省くが、究極的に組織の合理化、細分化をもたらすアメーバ経営を採用する企業において、社内の各アメーバごとの取引をする場合と他社との取引を選ぶ動機(個々の交渉で決まる価格だけか?)を研究することは、取引コストの究明に有用な気がするがどうだろうか。研究者はもう既にその解明に取り組んでいるだろう。
・マグリブ商人とジェノヴァ商人の比較も面白い。各商人が代理人を雇用する際の戦略が対照的なのである。
マグリブ商人は共同体内の密接な情報交換を基盤にして、裏切りの発生を情報共有すると共に、1度裏切った代理人とは二度と取引しないという集団主義的戦略をとった。
一方、ジェノヴァ商人は賃金を高く支払うことで雇用が切られた時の損失を大きくすることにより正直な行動を担保する個人主義的戦略を採用した。
両者の戦略の採用の相違は彼らの軌跡を規定した。集団主義的戦略は共同体の存在に制約されているので規模拡大が難しい。しかし個人主義的戦略はオープンなシステムを作ることを可能にし、取引のネットワークを拡げることを可能にした。
この比較としてかなり無理があるが私が思案して少々面白いなと思ったのは以下である。
江戸時代、大坂商人は株仲間を結成するなどして、事業者が簡単に参入できないようにしていた。コメ取引(現物か先物かは忘れたが多分先物)においても金銭を支払えない物は市場から追い出し、取引に参加出来ないようにして信用を担保していた。このような制度は、様々な科学技術が未発展な当時において裏切りを抑止するのに有効で会ったのだろう。言ってみれば集団主義的戦略と言える。
そのように規律付されていた都市からキーエンスという高い報酬を支払い、他の企業とは一線を画する立場を保持する個人主義的戦略をとる企業が産まれ、驚異的なスピードで成長を実現している事だ。
当然時代の違いもあり都市の性格も様変わりしている。そもそもマグリブ商人とジェノヴァ商人との比較で用いられた前提とは全然違う。そのため先述したように比較には先に述べたように無理があるだろう。
しかし日本の商社会に内包する集団主義の中でアウトサイダー的な存在が江戸時代から続く商業都市である大阪から産まれたのは興味深いし、経営史的には特筆すべき存在かもしれない。