軽率な行動が人生に影響する失敗に結びつくことはよくあります。私はそれを以前、痛感する出来事がありました。
言霊という言葉がありますが私はその言葉を一方で軽々しい見くびった発言を他人に公言したばかり故、後年、自分の行動を制約し、人を縛り付けるものだという意味だと捉えてます。私は言葉一つ一つにこめられている深淵な恐ろしさを常々実感し、またそれに苦しめられています。
ただそういった前言からくる苦しみについて、そこまで考えが及ばず、むしろ開き直って悪魔化する人間が世間には多くいるのだなと感心することがとても多いです。
人を馬鹿にする癖にその行動は対象より下品で論評すら及ばない人間がたくさんいます。
人からそれを咎められてるのに、それを辞めようとせず意固地になって他人に執着する輩も多数います。
そういった行動は私は言霊がもたらす恐ろしさだと思います。
他人を馬鹿にするにはそれに相応する見識がなかったら、いずれその対象に存在を脅かされる可能性があります。そして何故自分に対して、一方において優越する存在を認めることができないのは、言霊によるものだと思います。短絡な印象で人を見くびったXはYの潜在的な力を発揮させるきっかけとなり、結局バカにする言動を常々していたそれに制約され、Xは余計惨めな存在になるのです。
こんなことはちょっと考えれば当たり前の話ですが、そこまで知恵の回らない人間(大人)が多数、存在するのも私が生きてきた実感です。
子供はまだ学習段階なのであまり大っぴらにそれを批判するのは大人気ないでしょう。そこから学習すればいいのです。ただ成人(中学生ぐらいから言えるかもしれません)にとっくに達し、立派に見識を持つことが理想とされる存在が、幼稚に開き直って自分の非を認めず、他人を執拗に侮辱するのはどう考えても奇妙な存在に違いありません。
繰り返しですが言霊に呪われているのです。執拗にある人を恨んでいるのは、その対象に攻撃されているとか、喧嘩売られているとかではなく全て自分の行動から起因しているのです。
ある程度の見識を持てない人間をたくさん見てきました。それらに対して説得を試みるも無駄を浪費するのみでなんの効果も得られずという結果に終わることもあります。ていうかそれがほとんどです。
自分の行動を省みる、そしてその反省を行動、言動に反映するというのは言葉で言うほど簡単では無いのだなというのがそういった人間に執着されてきた私なりの感想です。
本気で自分の人生と向き合うのには夏目漱石の作品が格好の材料となるよと最後に上から目線で助言しておきます。こんな偉そうだから人に嫌われるんやろうな。でももっと偉そうな人間があちこちに存在もするし😏👍