内容が濃いのでぱっと読んだだけの私では上手くまとめられない。ただ戦中期の国家の政策形成の一端を垣間みれたことは現代の政策形成とは大きな差違があるのだろうなという推量、さらにある程度の確信が得られたのは良かった。以下、現代と異なる点を代表的に3点、指摘したい。
まず大日本帝国の政策思想の根底に「民族」の繁栄が金科玉条としてあり、その対となる多様性、グローバリズムという視点を政策に組み込むことが当たり前の現在の国家運営とは大きな違いがあることだ。
さらに現代の視点から捉えると違和感を感じるのは、人口問題である。戦中期においては人口の過剰が課題の論点であり、問題解決のアプローチは千差万別であるがそれの対処方が学識者の間で積極的に議論が交わせられていたのは面白い。
また人口問題を考える際、現代では少数派である農家の存在が国家戦略にとって重要なのも大きな視点である。農家は豊富な人口供給の源であり、そこから生まれる人的資源は都市の発展や兵力の供給源として国家が大変に注視していたのも現代の都市国家の常識とは異なる。
上記は極めて粗雑に簡略したまとめであり語るのも恥ずかしいのであるが、私の感想としては戦中期という激変期の国家運営というのは極めて政策形成者にとってやりがいがあるミッションであろうなということだ。総力戦を強いられた国家がその統治のため、全体主義な傾向へと向かう中で、従来までの自由主義的な国家運営を放棄していく。その中、政治家や官僚、軍人さらには学者といったアクターは知恵を出し合い、国家の存亡をかけている様は臨場感を感じる。
その様と現代の停滞感のある日本国を比べると、現代を担う官僚達は、あらゆるリソースの減少が必至な中、せせこましい国家運営をしていくことに強いられ、敗戦前の日本の帝国主義的なダイナリズムとは一線を画す。
ただやや自明的であるが国民の安寧という観点からはそのような政府のダイナリズムよりも人権という制約がある現代の立憲主義の日本の方が我々の市民生活にとって好ましいのは感覚的に受容しているのではないだろうか。政府が激変期にこれ幸いと活発に制度を変更し我々の生活に介入するよりも、政府に制約を持たして、自由を享受できる方が当然好ましい。当然その自由な立憲主義を守っていくためには我々は常に良識を持って、国家運営に関わっていく必要がある。