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政治家の資質について考えていること

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以前スマートフォン内にメモっていた軽い文章をブログに載せます。ちょっと疲労が貯まってるって言うか毎日無理に書く必要ないですしね。

 

 

政治家の資質について考えていること

 

私がまだまだ若い時分、自民党が下野し民主党が多数派を占めた時期があったが自民党を政権党から転落に招いた時の総裁が麻生氏だった。


その頃の報道は自民党に対するネガティブキャンペーンが盛んに行われていて麻生の人格批判も多数見られた。その中で私の淡い記憶をたどっていくと何かの女性週刊誌で2人の女性タレントが彼のことを生理的に無理だと放言していたような気がするのである。


私はこのような、なんとなくのイメージで悪い感情を他人と共有するのが嫌いなので持ち前の判官贔屓により自然と彼をまだ選挙権がないなりに心の中で応援するようになった。


そして彼は敗戦後、自分の実績の正しさは歴史が証明するだろうという旨の発言をしていたと記憶している。


私も、まだまだ若いのでそういうものだと思っていたし、そもそも政治家は人柄や人格で評価するものではなく政策立案能力で評価するべきであるとも思っていた。


しかし、安倍政権以降、数々の彼らのモラルを疑うような不祥事が相次いで発覚している。さらに国民を逆撫でするかのような発言も相次ぎ、政策論議がストップする状況も多発している。


一歩譲って考えてみよう。確かに金銭問題だけならそれは政治家の常だし人命には関わらないので許容することも出来るかもしれない。しかし能登地震での対応の稚拙さを見ると、もはや彼らの存在意義がないとまで言えるのではないだろうか。岸田総理の能登地震に対する言及は少なく、国民の多くが自分も見捨てられるのではという不安を惹起させ、国民の政権に対する信頼は地に落ちている。


私はここにいたってようやく政治家は基礎的教養を前提とした国民を引っ張る人柄、コミュニケーション能力が本人の政策立案能力よりよっぽど重要だと痛感したのである。彼に政策立案能力があるのかどうかは知らないが。


では麻生にそれに質する能力があるのだろうか?私からはないと言わざるを得ない。


以前、麻生はテレビ番組で自分は国家が危機的状況に置かれた時に自分が国民を引っ張るに相応たる力を持っているというようなことを言ったことがあった(こんなことを記憶してるのは私が麻生氏のフォロワーだったからですよ)。果たしてそうだろうか。


危機的対応において政治家に求められるような能力は何かというと、国民の不安を取り除くことができるような国民間との対話能力であったり様々な機関との調整能力であろう。いずれの能力にも高度なコミュニケーション能力が要求される。

 

しかし私は国家の危機時に彼が指導者にたつと余計な混乱をもたらすのではないかと思うのである。それは彼が前回の総理大臣の際に、放言を連発しマスコミがそれをセンセーショナルに報道した結果、国民にちゃんとした情報が届いたかどうかが甚だ疑問であることからも明らかであろう。


また国会が空転を重ねたことは、彼の調整能力を疑うには十分である。


野党の民主党予算委員会?で漢字クイズを行って総理の資質を問う場面があった。私はそれが嫌だったが、やはり基礎的な教養は必須で特に今の日本国を構成している基本的な立憲主義の基礎知識ぐらいは備えて置かないと権力に蹂躙されている私にとっては不安になる。もちろん、彼らが政治学の教養を豊富に有してるかというと否定的にならざるを得ない。


自身の政治家としての資質で問題の解決にあたらず、暴力の行使をチラつかせたり、実際に行うことで保身を図る二世議員が権力を保持する封建主義的な自民党支配の日本の行く末を心配する。


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